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企画開発

新素材の開発

越翡翠硝子

越翡翠硝子について

越翡翠硝子 翡翠の入ったガラス素材「越翡翠硝子(コシノヒスイガラス」は、富山ガラス工房が素材開発を行った、翡翠の入ったガラス素材です。古代より、その神秘的な色合いから珍重されてきた緑色の石「翡翠」は、富山でも採れ、なじみのある石です。

越翡翠硝子の開発について

1999年にスタートした「世界に通用する新素材開発プロジェクト」は、富山のガラス造形に独自性を持たせるのが狙いで、埼玉大宮市の長谷川窯業研究所(長谷川保和所長)に協力していただき小牟禮尊人(現・秋田公立美術工芸短期大学助教授)が企画開発を担当しました。
初年度のテーマは「和紙のような縞模様を生じ乳濁するガラス」「焼結による光彩ガラス」「金属と融合させる新しいガラス」、そして「ヒスイの廃石有効利用」の4点です。調合計算に始まり十数種に及ぶ原料の調達、調合、溶融、成形、除冷、特性値の測定など繰り返し行い、結果が出たのは2年後の2001年です。これらの成果を特許申請の準備まで整えたのは、長谷川氏で、彼が緑色の美しい富山独自の「越翡翠硝子」の生みの親といえます。
古代史の本には、縄文時代のヒスイはすべて糸魚川地域(小滝川、青海川とそれに近接し漂石が採集される富山県朝日町の宮崎海岸)から一元的に全国に運ばれたと、記載されています。そこには日本海を北上した“ヒスイロード”があり、狩猟採集に依存する自給自足の社会と考えられていた縄文に対する時代観を見直す要因となったとされています。
ヒスイは漢字で「翡翠」と書き、光沢のある青々とした美しい羽毛で知られる小島のカワセミの雄を「翡」、雌「翠」であらわされ、転じて緑色の美しい玉を「翡翠」と称するようになったといわれています。
ヒスイは5000年前の縄文時代前期末に出現して、古墳時代にはすたれたとされていて、日本以外では紀元前1500年頃にマヤ文明で始まり、アステカ文明で終わっています。ヒスイ原産地は長い間不明でしたが、長者ヶ原遺跡(新潟県糸魚川)の発掘調査でヒスイ加工の村があったと確認され、日本は世界最古の “ヒスイ文化圏”であると言われています。
富山ガラス造形研究所、富山ガラス工房、個人作家の工房がある呉羽丘陵にも遺跡があり、祭祀に用いられたらしい土器が発掘されています。残念ながらガラスは、まだ出土されていません。「渚の正倉院」の異名で知られている寺家遺跡(石川県羽咋市)には、ガラスの坩堝の破片が出土していて、気多神に供えるガラス製品を作るために、都から坩堝を携えてガラス工人が来ていたとも言われています。これは渤海と往来した古代の北陸が大陸との交通の表玄関だったことを物語っています。
20世紀初頭にヨーロッパを中心に華々しく栄えたガラスも終焉を迎え、縄文時代のヒスイも跡絶えました。といっても、ヒスイもガラスもこの世から消滅したわけでなく、私は生滅だと思っています。何故なら、ヒスイもガラスも、理屈抜きで美しく、どこか魔力を秘めているからです。人の手により生まれ人の手により消えていく儚いものですが「いのち」あふれる「かたち」は、いつか立ち現れて人々の心のなかで連なっていくものであり、縄文の美が時空を超え現代の感性で蘇るのも遠くはないと思っています。
野田雄一著『新世紀に蘇る翡翠美より』引用

越翡翠硝子製品について

越翡翠硝子  越翡翠硝子

富山ガラス工房は、翡翠の入った新素材ガラスの魅力を生活の中に提案していきたいと思います。作り手ひとりひとりが制作した神秘的なイマジネーションを楽しんでください。「CHOCO」「AcKALI」の中にも「越翡翠硝子」のものがあります。

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富山曼荼羅彩「越碧」

富山曼荼羅彩について

富山ガラス工房では、富山大学と協同して新素材の研究・開発を行い、この協同開発におけるオリジナルガラス素材を総称して「富山曼荼羅彩(トヤママンダラサイ)」と名付けています。このシリーズは今後その名が示すように多様な色のガラスを開発・製品化していく予定です。

富山曼荼羅彩「越碧」について

この富山曼荼羅彩シリーズの第1弾である「越碧(コシノアオ)」と日本酒ブレンディング会社ときの舎や富山の酒造メーカー「満寿泉」のコラボレーションによる商品です。
21世紀のキーワードである「環境」「再成」「地域性」「精神性」「普遍性」と、「富山曼荼羅彩」プロジェクトの核にある地域の連携や特性を重要視しています。

新聞記事

●新色ガラスのデカンタ 限定 純米大吟醸入り (2007年9月9日 北日本新聞掲載)

新色ガラスのデカンタ 富山ガラス工房(富山市古沢)は日本酒「満寿泉」の醸造元、桝田酒造店(同市東岩瀬町)、富山大と連携し、純米大吟醸の入ったガラスのデカンタ(酒を入れる卓上用の瓶)とグラス2個をセットにした新商品を開発した。桐箱に入れ、3万円で販売する。商品名は「富山曼荼羅彩越碧」。付加価値の高いガラス商品を開発しようと、同工房スタッフの名田谷隆平さんが中心となり、昨年秋から製作を進めていた。デカンタとグラスのセットは同工房のガラス作家が手掛け、ラベルとケースのデザインは富山市呉羽町のデザイナー、尾崎永治さんが担当。一般には販売されていない純米大吟醸が詰めてある。デカンタとグラスには、同工房と富山大学工学部無機・分析化学研究室が富山の海の色をイメージして開発したガラスの新色「越碧」を使用した。商品は50セット限定で、11月から同工房や富山大和などで販売する。同工房の野田雄一館長は「質の高さを追求した商品。おいしい大吟醸とガラスで富山の魅力を満喫してほしい」と話している。

●色を作る 夢は無限 (2008年1月1日 読売新聞掲載)

色を作る 夢は無限 緩やかなカーブを描く滴型のガラス容器。水を注ぐと、中央がくぼんだガラスの「レンズ効果」で深い青のグラデーションが現れる。「様々に変化する富山湾の海みたいでしょう」と富山ガラス工房(富山市古沢)館長の野田雄一さん(52)。
同工房と富山大の協力が生んだオリジナルのガラス色「越碧」。初の商品が、「桝田酒造店」(同市東岩瀬町)の3年ものの古酒を入れた酒器のなどのセット(3万円)だ。飲み終えるとデカンタとしても使え、2007年11月に売り出し、50セットは完売した。
連携のきっかけは、富山を表現した独自の色を開発してガラス工芸品のシリーズを制作する、という野田さんのアイデアだった。
同工房はすでに、ヒスイの淡い緑色で富山の森をイメージした「越翡翠硝子」を世に出している。野田さんは「次は富山の海」と、06年春、友人の同大大学院教授、金森寛さん(60)に「新しい色を作れないか」と声をかけた。
金森さんは無機化学が専門で、早速、学生の遠藤仁志さん(23)と協力して研究開始。遠藤さんはまず、市販の色ガラスを100色以上用意し、含まれる金属や割合を分析して調合の勘所をつかんだ。銅とコバルトを配合し、「富山湾特有の緑を表現するため」クロムも少々加え、工房スタッフの名田谷隆平さん(43)と協力しながら、0.1%単位で調合を変え、07年夏に完成させた。実際の商品は、コンペで選ばれた、工房スタッフの島田映さん(30)の作品だ。
将来的には、他の色も加えて「富山曼荼羅彩」というシリーズを作るつもりだ。現在は「富山の夕日」をイメージした赤を開発中。赤、青、緑の光の三原色がそろえば、すべての色が表現でき、可能性は無限に広がる。(文:大山博之 写真:佐々木紀明)

第47回富山県デザイン展 「越碧」一般の部 グランプリ受賞

越碧  越碧

「越碧」財団法人ガラス工芸センター(ガラス工房) 一般の部 グランプリ受賞

審査講評

第47回富山県デザイン展の審査の様子 この作品を一目見て、その圧倒的な温かくも力強い佇まいに目を奪われます。産官学共同プロジェクトとしての取り組みといった部分の評価もありますが、どこまでも深く美しい瓶の碧さと、作り手の魂が強く宿った完成された造形美が、審査員満場一致のもと、本作品をグランプリに決定させました。作り手のひとりひとりの情熱的な想いというものが、しっかりとモノにこもり、使い手にメッセージとして伝わるものだと教えてくれた感動の作品です。(小牟田啓博)